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洞窟ホームレス株式会社VSFXマルチ商法詐欺

洞窟ホームレス株式会社VSFXマルチ商法詐欺

文章のみの4クルー目の15

洞窟生活と心霊とキャンプと世代)

洞窟というと「縄文人の洞窟生活」を思い浮かべるかもしれない。
ホームレスというと、「青いビニールシートのテント生活」や、ダンボールハウスを思い浮かべるかもしれない。

ところが、洞窟株式会社は「というよりも」、カッパドキアの「洞窟ホテル」のように快適で、キャンピング場の「ログハウス」のような感じだった。

(林太郎さんはどうしてその外に、テントを張って暮らさなかったのか?)

洞窟の外には、テントを張れる様な場所もあった。広瀬川のもっと上流の川岸には、年中数人のホームレスがテントを張り、夏場にはキャンプマニアがテントを張った。

もちろん、ホームレスたちのほうはキャンプが好きなのではなくて、青いビニールシートが安く手に入るから、テント暮らしをしていただけだが。

この洞窟のある場所はとにかく人気がない。
一番近い場所に国土交通省のマンション型アパートがある。その裏の7本の桜並木を抜けて20歩のところにあるにも関わらず、洞窟の入り口にはうっそうとした樹木があり、この洞窟の存在は当時は知られていなかった。

また、広瀬川の水没者を祭ったという(愛宕神社の宮司さん談)地蔵や、7世紀の縄文人の(?)墓穴「エゾ穴」という、心霊スポット的な環境のせいか、夜は怖い。
実は、この付近のマンションは、「エゾ穴」を発掘調査した後に建てられているものがけっこう多い。まあ、7世紀といえば14世紀も前のことだから、もうその手の心配はないのかもしれない。
また、この近所に(宮城県の武道館の向い、南高校のテニスコート隣)に兜塚というのがあり、仙台城下造営の際に、普請役の小人組(こびとぐみ)おおよそ 130名が反乱を起こし、打ち首となった全員の首を兜塚のところに晒したあと、埋めた場所とされているところがあるが、(コビト塚となり、なまってカブト 塚となった)、洞窟のある近所にその130名の首をはねた場所と伝承されている場所がある。
そこには、車の通れない自転車やひとが通れる舗装された場所があり、こんもりと山になっているが、その手のひとには武者の霊が見えるという。また、その向かいのエリアがことごとく店が閉店をし古い寺しか残っていないことから「なにかある」という人は多い。
仙台は有名な風水の先生ドクター○○がテレビで言ってたところよれば、もともとは風水的には非常にうまく設計された都市だったが、石井市長の時の土木行政や自動車道の開発によってそれが異様に崩れてしまい「やばい」状況にあるという話があるらしい。


そのような「こわい」状況では、となりに10以上のテントがあるようなキャンプ場ならいざしらず、ひとつっきりでテント生活なんてありえない。

というか、林太郎さんはキャンプをしたのは面白山キャンプ場で1回やっただけで、そのときは生協の主催だったので、テントがひしめいていた。林太郎さんはテントは苦手なのだ。

「テントってのは、所詮ビニールシート1枚だからさ。ある意味『信頼』によって守られているんだよ。そこに、肉を食べにくる虎がいなくても、金を奪いにく る連中は、今の日本じゃ人気のないところを選んでうろうろしているから、とてもじゃないけど『人気のない場所にビニールシート1枚』じゃ防ぎようがない」

林太郎さんは、未来の国からやってきた『スーパージェッター』とか、宇宙船の事故でホッパ星人に助けられた少年ジュンが、宇宙パトロール隊の一員になって銀河の平和を守る『宇宙パトロールホッパ』などのマンガをカラーテレビで見て育った世代だ。無共闘世代と言われる。
きたない厚手のビニールでくるまれたか資本マンガを見て、白黒テレビで『プロレス』を見ていた団塊の世代※とは違う。


林太郎の世代の代表は泉麻人、みうらじゅん、秋元康、山田五郎、久住昌之 か?
そういえば、団塊の世代は集まると熱くて強いが、バラけるとまた羊の顔に戻る。

1960年代後半から1978年頃までの若者の『カニ族※』みたいな屋外寝泊りや、そのマ逆にあった、全共闘世代の『安保闘争※』と叫んでいた大学生のように、1週間もお風呂に入らないみたいなことがもはやできないのが林太郎さんの世代なのだ。
ちなみに、駐車場に車を止めて寝る「車中泊」の旅をする人が増えているが、団塊からシルバーの世代が目立つそうだ。



※団塊の世代:昭和22年から昭和24年の3年間に生まれた人

※1970年代以前の日本は、まだ自分の車やオートバイを持つ若者は少なく、長距離・長期間の国内旅行には鉄道が利用されたので、『カニ族』と呼ばれる、大きなリュックを背負った長期の低予算旅行をする若者を生み出した。
ヌマさんはそのはずだが、ヌマさんは都会派でアウトドアは苦手な感じ。

※安保闘争。1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度ある。日米安全保障条約(安保条約)に反対する労働 者や学生、市民が参加した反政府、反米運動と政治闘争。火炎瓶や鉄パイプで暴力を振るう暴動・紛争という側面があった。タカハシさんはこの世代らしいが、 生年月日を明かそうとしない。



タカハシさんの夏)
タカハシさんは深沼海岸に行って、流木をひろっていた。おおきいものちいさいもの含めて、フリマで販売していた。



ヌマさん「タカハシさんって、昔大学で活動家なのかな」
林太郎さん「活動家?」
リョウさん「まあ、ほら、今でいうテロみたいな。。。反体制だべ」
林太郎さん「なぜわかるの」
リョウさん「ほら。ここに写ってんのタカハシさんだべ」
机の上に『某重大事件』という活動系のミニコミがあった。

そういえば、タカハシさんは警官がネズミトリしていると必ず写真をとる。パトカーが張ってたりすると、わざと信号無視して大学病院の中を抜けてまいたりする。


しかし、今は活動家というよりもホームレス研究家みたいに、水を自分でつくるとかそういう器械をつくっていた。



リンちゃん「タカハシさんと林太郎さんが買出しですか?はんたーい」
アツシ 「?」
リンちゃん「あのふたりだと、キャベツなんか外葉、他のお客さんの捨ててったやつも自分のキャベツに巻いて買ってくるんですよ。農薬あぶないんじゃない?有機野菜ならいいけど。栄養あるんだって!」
アツシ「えー」
リンちゃん「貧乏やだよー」
タカハシさん「そう?」
アツシ、リンちゃん「あっ」

貧乏)
タカハシさん「昭和時代っていうか戦後まもなくって【貧乏】って言葉がレコードとかにも出てたんで、それなりに貧乏なひとはいたんですけどね。でも、普通のひととの差がそんなに離れたもんじゃなかったし、金持ちの生活は塀の向こうで隠れてて見えなかった。でも、日本よりも貧乏だとされている国の人が、日本のひとよりもよっぽど幸せな顔して生きている」

林太郎さん「周りを見てやりきれないんだと思う。そして、金がないほと、ひとと交際できないからね。本宮ひろ志の漫画みたいに、浮浪者がおお金持ちと話す時代は、絵空事ですよ」

リンちゃん「勾当台の勾当ってそういう話だって、林太郎さんが言ってましたよね」
タカハシさん「いや、勾当って権力者だよ」
リンちゃん 「そうなんですか?」
タカハシさん「座頭市もだよ。 「検校(けんぎょう)」、「別当(べっとう)」、「勾当(こうとう)」、「座頭(ざとう)」は、めくらといったけど、盲人の上前をはねていた。元禄以降は悪辣な金融業者ってのもいたんだよ。幕府が公認してたの」
タカハシさん「共産主義だって、自分は一時期かぶれましたけど、共産主義が成功した国はなにひとつないでしょ。」
リンちゃん「じゃあ、どんな?方法があるの?」
タカハシさん 「無理ですね」
タカハシさん 「権力がないと、選挙で通りませんから。選挙で通って、政界で声を出すには権力が必要。つまりね、古参がいるから無理です」
タカハシさん「権力は腐敗するってことですよ。つまりね、共産主義でも資本主義でもなんでも正しく蘊奥さえれば市民はみんな平和に暮らせるはずなんですよ。でも、実際は権力もっているやつはぜったい腐っていく。」



ショウタ)
デリヘルの話が座礁した後もショウタは洞窟に来ていた。

ショウタ「リョウさんやばいっすよ」
リョウさん「え」
ショウタ「後ろからみると、すっかりザビエルです」
リョウさん「んだか?」
ショウタ「やばいっす。これリアップしたほうがいいですよ」
こんな感じだ。
リョウさんはショウタとホストの話をよくしていた。

ショウタ「そうだね。女性をからかうことかな。ホストは女性に『おまえばかだな』とか言いますよ。『でもかわいいよ』とか言って、さげてあげるみたいに」
リョウさん「林太郎さんはそういう系じゃねーおんな。林太郎さんは「わるくないよ、がんばったね」っていう感じだべや」
ショウタ「あー、それ言いますね」
リョウさん「わるくないよ、がんばったね。マイナスに意味があるんだとや。つまり、成功や、明るさだけがいいのではないってこどらしいけっとや」

リョウさんメモ:ホスト)
●「もてる」のではなく、数の論理。

ホストが「もてる」と思うのは、すべて数の論理からそう錯角している。

つまり、接している女性の総数が格段に違う。そのなかには、「自分」を気に入ってくれる女性の数も、必然多くなる。たとえば、ある研究室の理科系男子よりも、出川哲郎のほうが「このひととつきあいたい」と思う女性の数は多い。ある研究室の理科系男子を知っている女子5名のなかの1名と、出川哲郎を知っている女子50000名のなかの100名のほうが99名多い。「サザエさん」を知っている日本国民は多く、磯野波平はいつだって理想のパパベスト10入りするのだ。

●数が多いと、いろいろ磨かれる。

数が多いと、いろいろ磨かれる。つまり、「場数を踏んでいる」ことによって、「女性の反応を見る訓練」が出来る。また、その「観察」に呼応して、いい感触を得られる言葉やふるまいを練習できる。


●しかし、実際は、来る人種には「偏り」がある

実は、ホストの守備範囲は案外と狭い。(もちろん、 テレビにでるような芸能ホストはまた別だが)。

「偏り」というのは、ホストやホストクラブをおもしろいと感じるひとの集合体にもてている。たとえば、身の回りにいる女性に聞いてみる。{ホストってどう思う?}。照れや嘘のために100%のひとから真実が拾えるわけではないが、「あの手」の人種を「キライ」な女性はけっこういる。というか、総数はそっちのほうが多い。

考えてみると、ひとというものは「おもしろい」の意味がちがう。
テイスト的な区分を示す意味での「人種」によってちがう。
お笑いがおもしろいと見る女性もいれば 学術的なことに興味をもつ女性もいる。

●ホストクラブに来る人種とは?




たとえば、どんな人種か?といえば、たとえばめがねを嫌う人種だ。

一時期は、ホストが眼鏡をかけていると客が怒り出すという時代があった。
なぜだ?いまだと有名なホストの「リュウジ」?理系の神経質なホストってありえない。
老眼鏡をかけた父に似ているとか???いや、「めがねをかけた=秀才」、「秀才=あたいらと人種が違う」、「人種が違う=気持ちをわかってくれない、冷たい奴、こっちをばかにしている」。こんな方程式でめがねを嫌う。

気をつかわなすぎのダメホストはいるが、秀才タイプはほとんどホスト業界には長居できない。「だまされるほうが悪い」それがホストの正義とうそぶく、不誠実なやつのほうが、勉強ができて「きみが悪いんじゃない」とホンキで理解してくれようとするメガネ男子よりも受ける。

「その日は全員眼鏡着用」のメガネサービスデーがあるのは、メイドカフェくらいかとおもったら、青フレームばかりそろえる、ホストクラブの「メガネサービスデー」もあるらしい。最近は客もインテリが流れつつあるので、メガネホストも増えつつあるらしい。多少。。。

キャバクラののりで「浴衣サービスデー」があるくらいまではまだ遠い。

すくなくとも、"眼鏡かけてると頭がよさそうだ"と信じている人種はホストクラブ客には多い。クヒオ大佐のようにパイロットの服着ればパイロット、白衣で行けば医者だと信じるアホもいなかろうに、"眼鏡かけてると頭がよさそうだ"とはなぜか信じている。



頭がいいホストは一般的には嫌われる。よって、男前、ナルシス、お笑い などいろんなパターンがいることはいるがウッディアレンはホストとしてはやっていけない。ホストといっても、「もりあげ」と「ムード」との2つがある。最近はもりあげタイプばかりで、しっとりと話を聞けるホストが比率からすると低いらしい。考えてみれば、昼職のいいオトコのなかには、もりあげもできなければ、ムードもないいい男が実際いるのだ。





●なぜ、うらやましがる?
しかし、なぜか「ホスト」をうらやましいと思ってしまう男性が多いのはなぜか?

それは、ホストがつきあう女性とつきあってみたいと(現実も見ないでだが)思っているからだ。

現実には、ステキなキャバクラのねーちゃんだけを相手にしているわけではない。

とんでもなく、暴力な、ホストに酒を無理矢理飲ませて偉ぶるような人格が壊れたねーちゃんや、とんでもない巨漢や、とんでもないブスもカネさえ持っていれば来れる。
ホステス?キャバクラのねーさまも、みんながみんなステキでもないし、ホストもホストでみんながステキではない。

だから、うらやましいと思っているホストの生活は、実際は、一般人の「妄想」でしかない。

都会のねずみ、田舎のねずみのように、1日ホストの人生と交換してくれオレの人生と思っている。その妄想では、かっこいいホストが、カネをいっぱいかせぐすごくいかした風俗嬢たちからカネと身体をいただいているんだろうが、現実は違う。

しかし、おおかた合っているのは、ホストの90%の客が風俗嬢ということだ。キャバクラも含めての風俗。

そして、一般人のオトコどもは、90%、風俗嬢とうまくやりたいと思っている。

それは、風俗で働く女性は 概して「やらせてくれるかも」「なんとかなりそう」という これまた妄想の上に立っている。まあ、現実として、「体の関係=こころ」 なんて方程式が一般女子以上に壊れているから、やらせてくれる確率は高いが。



しかし、風俗で働く女性はたいがい彼氏がいる。

それは、ホストに限らない。

それを「貸します」という彼氏がほとんどなだけ。

で、 オタク(キモオタ)やオヤジはそれを有償でおかりしているというなさけない状態が

夜の町だ。

ショウタからの聞き取り「ホストの裏技」)
鏡でチェック
ホストは自分の姿を1日になんども見るし、何度もオンナと話すし、
何度も失敗して、上手になっていく。




シャンパンコールの盛り上げだけがホストクラブじゃない。
また、わかってないホストも多い。
今や、ホストはキャバ嬢(昔はホステスと言った)くらいに多いから ピンキリ。
ゲストがみんながみんな騒ぐのを指向してはいない
相手よりもちょっとだけ
明るいくらいが調度いい。

-

「へえ」「はい」「そうだね」だけでなく。




ハングリーにさせることもサービス。






「きみみたいな子とキスできたら幸せだな」
「恋人にしたい!って言われるでしょ?」
「きみは、キスしたい子コンテストNO1になれるよ」などと
Hなイメージを言葉として言って、
相手の「瞬間の」反応で相手の気持ちを判断。
「好き」と言わないと、はじまらない。



なんにせよ、いったんほめて
相手の気持ちを「ゆるめ」る。




ホストと風俗嬢たち同業者の決め台詞
「おつかれー」は
リーマンの言葉とは一線ちがう
「仲間」意識が働く。



あげたりおとしたりを喜ぶ。
あやすというのは、そういうものだ。

たいてい、ゲストはどこかにコンプレックスを抱えている。
ホストは「依存、見栄、嫉妬、優越感、独占欲、競争心」を
上手に利用してカネにする仕事だが、逆に言えばゲストの多くが、
欠乏感、欠落感、不安をかかえて生きている
ってこと。





ズイ道で遊ぶ )
これは、つまり、どうやったらこの汚泥を取り除けるかへの挑戦だった。
その技術は、どこにあるだろうか?と考えた。
そこで、同じ水力発電所ということで、タカハシさんとリョウさんは仙台の西の方にある荒巻字三居沢の水力発電所に行った。

これは、現在100戸程度の発電をしているが、国登録有形文化財になっていて、歴史遺産として東北電力が管理している。
そして、そこには『三居沢電気百年館』というミニ博物館を抱えていた。

このミニ博物館を作ったときに関わったT氏は、東北電力の広報誌などをかつて作っていた会社の元社長さんで、その社長さんが独立後この博物館を手がけたらしい。なかなかコンパクトに情報が詰め込まれている。

館を案内してくれたU氏の話はおもしろかった。
通常ここをおとづれても、ただ展示品を見るだが、ちょとした質問でたったひとり(とおみうけした)でここにおられる、U氏が説明をしてくれるのはまさに贅 沢だった。おそらく、学芸員とかそういう感じではなく、東北電力のえらい方のような感じがした。説明のビデオは館内で2本見れはするのだが、U氏の話のお もしろさを体感してほしいと思うが、そこを書くと情報誌になってしまうので、割愛する。
しかし、不思議なもので、聞いたことを文字にすると案外とあたりまえのことだった気がする。おそらく、U氏のこだわりである、瓦葺屋根の大棟の両端につけ られる飾りの一種の『鴟尾(しび)※』に対する話の熱の入れ方や、ひとつひとつの説明に熱が入っていたのがすごくこころを揺り動かしたのだろうと思う。
「この人はこんなことに関心を持って調べているんだ!」というクールな感覚ではなく、「この建物を作った建築家は早稲田を出て」と言われただけで、「早稲田!(それ知ってます!!)」という単純なことがおもしろくてしかたなかった。

『鴟尾(しび)※』:伝説の魚が屋根の両端についている。魚が水に関係し、水が防火に関係するようだ。この鴟尾がこの水力発電所にもついている。



さて、ここで、知りたかったのは、この発電所に流れてくる汚泥はどうやって処理しているのか?だった。
リョウさんは(自分ながら、異様な質問だな)と思った。
この手の技術的な質問は、往々にして市民からの「このゴミはいったいどうやって処理しているのから」「ほらね、それだから私たちは困っているんです!」のような苦情のはじまりに多い。
やはり、パンフレット見ればわかるだろう!程度の「この発電所はいつごろ、作られたんですか?」から始めたほうがいいのだろうか?とは思ったが、ストレートに「この発電所に流れてくる汚泥はどうやって処理しているんですか?」と聞いた。
※ちなみに、1888(明治21)年7月1日にここはスタートしていて、日本で最初の水力発電ということになっているが、「日本で最初の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疎水を利用した「蹴上発電所」(明治24年竣工)」という紹介もある。

結局、汚泥についてはあまり意識している問題ではなく、1年に1回程度の、設備を停止しての定期点検のときに流してしまうということだった。

この水力発電所は、広瀬川からの水で動いているがこの取水口のところから、仙台港の『キリンビール』が同じく工業用水として引いていると聴いた。


ズイ道倉庫業と受験生)

タカハシさんとリョウさんのプランはズイ道を貸し倉庫にしたらということだった。
洞窟株式会社(箱部分)を受付にして、あずかりスペースのものを滑車ですべらして下ろしてくるというものだったが、よく考えると、もともと洞窟株式会社や ズイ道の所有権もクリアされていないし、滑車ですべらしてきた荷物を今度は、坂道をどうやって上げるのかも考えられていなかった。



貸し倉庫のほかに、レンタル部屋という企画もあり、そこは低料金で貸す部屋で、おそらくそれが技術的にクリアされてのことだが、実現すればとんでもない貧民窟になったかもしれない。
そういえば、明治元年春の東京は無政府状態だったようで、江戸城が巨大な空き家状態になってしまい、「乞食」が入り込み夜鷹を連れ込んでいたという。

タカハシさんとリョウさんはここの汚泥を取り除き、干上がらせることを考えていた。まるで受験生が、「やらなければいけない受験勉強をそっちのけに読書にふける」ように、本来の仕事からの逃避のようにズイ道の整備にのめりこんでいった。




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